Artist: Pink Floyd
Album: The Dark Side of the Moon
Song Title: Breathe (In the Air)
概要
歴史的傑作『狂気(The Dark Side of the Moon)』の実質的な1曲目であり、前曲「Speak to Me」の混沌としたコラージュからシームレスに接続される。誕生の産声(絶叫)の後に続く「最初の呼吸」をテーマとし、生命の神秘と、やがて直面する資本主義社会における果てしない労働のサイクル(ラットレース)を描き出している。デヴィッド・ギルモアのメロウなスライド・ギターとリチャード・ライトの浮遊感のあるコード進行が、羊水から外界へと放り出されたばかりの人間の安らぎと戸惑いを音響化している。ロジャー・ウォーターズによる、人間の実存と社会の不条理を見据えたシニカルな眼差しが光る、アルバムの巨大なコンセプトの序章として完璧な機能を持った楽曲である。
和訳
[Instrumental Intro]
※「Speak to Me」の絶叫が途切れた瞬間、穏やかで包み込むようなEマイナーの和音が鳴り響く。母胎からの誕生、あるいは狂気の渦から一瞬の平穏へと抜け出した安堵感を見事に表現している。
[Verse 1]
Breathe, breathe in the air
息をしろ、この空気を吸い込むんだ。
※産み落とされた赤子への最初の命令であると同時に、社会という過酷な現実へ参加することの強要でもある。
Don't be afraid to care
関心を抱くことを、恐れてはいけない。
※他者や世界と関わることへの呼びかけ。のちにフロイドが『ザ・ウォール(The Wall)』で強固に築き上げる「疎外感の壁」の対極にある、人間的な繋がりへのわずかな希望が示されている。
Leave, but don't leave me
旅立て、だが僕を見捨てないでくれ。
※親から子への自立の促しと、見捨てられることへの恐怖が同居するアンビバレントな感情。ウォーターズが抱える他者に対する根源的な不安が滲む。
Look around and choose your own ground
周りを見渡し、君自身の立つべき場所を選ぶんだ。
[Chorus]
For long you live and high you fly
君がどれほど長く生き、どれほど高く飛ぼうとも。
And smiles you'll give and tears you'll cry
どれほどの笑顔を与え、どれほどの涙を流そうとも。
And all you touch and all you see
君が触れるものすべて、君が目にするものすべて。
Is all your life will ever be
それだけが、君の人生のすべてになるのだから。
※人間の経験の有限性と実存主義的な視点。「自分が直接知覚したものが世界のすべてである」という、ある種の虚無感と圧倒的なリアリズムが提示されている。
[Verse 2]
Run, rabbit, run
走れ、ウサギよ、走るんだ。
※イギリスの同名の童謡からの引用。ここでは資本主義の無慈悲な労働システムの中で、ただひたすらに働き続ける労働者(大衆)を、追われる小動物に喩えている。
Dig that hole, forget the sun
その穴を掘り続けろ、太陽の光など忘れてしまえ。
※太陽(真理や自由の象徴)から目を背け、目の前の単調な労働(穴掘り)に没頭せよという社会からの抑圧。生きる目的を見失った現代人の姿である。
And when at last the work is done
そして、ようやくその仕事が終わったとしても。
Don't sit down, it's time to dig another one
座り込んではいけない、さあ、次の穴を掘る時間だ。
※終わりのない労働のサイクルへの絶望的な言及。システムに組み込まれた人間は、死ぬまで休むことを許されないという痛烈な資本主義批判である。
[Chorus]
For long you live and high you fly
君がどれほど長く生き、どれほど高く飛ぼうとも。
But only if you ride the tide
それはただ、時代の潮流にうまく乗れた場合にすぎない。
※個人の意志よりも、社会の巨大なシステムや運命の波(tide)に翻弄される人間の無力さ。
And balanced on the biggest wave
そして、最大の波の上でどうにかバランスを取りながら。
You race towards an early grave
君は、早すぎる墓場へと向かって競争しているのさ。
※波に乗って高く飛んでいるように見えても、競争社会の果てに向かっている先は「死(grave)」であるという冷徹な結論。アルバム全体を貫く「時間と死」という究極のコンセプトへ見事に接続されている。
