Artist: Pink Floyd
Album: A Saucerful of Secrets
Song Title: Jugband Blues
概要
1968年発表の第2作『神秘(A Saucerful of Secrets)』のラストを飾る、シド・バレットがピンク・フロイドに残した最後の楽曲である。過酷なツアースケジュールとLSDの過剰摂取により精神を崩壊させていったシドが、自らの「正気と狂気の境界」や「バンド内での孤立(あるいは自身の不在)」を恐ろしいほど冷徹かつ客観的に見つめた、ロック史に残る最も悲痛な別れの言葉(遺書)として知られている。楽曲の中盤には救世軍のブラスバンドによる無秩序で混沌とした演奏が挿入され、崩壊していく彼自身の内面世界と、彼を取り残して進んでいく現実世界との決定的な断絶を音響化している。のちにロジャー・ウォーターズが『狂気』や『炎〜あなたがここにいてほしい』で執拗に描くことになる「狂気」と「不在」というテーマの、極めてリアルで生々しい原風景がここに記録されている。
和訳
[Verse]
It’s awfully considerate of you to think of me here
ここにいる僕のことを気にかけてくれるなんて、君たちも随分と思いやりがあるんだね。
And I’m most obliged to you for making it clear, that I’m not here
そして、僕がもう「ここにはいない」ってことをハッキリさせてくれて、本当に感謝しているよ。
※自らの精神がすでに現実(バンドや社会)から遊離してしまっていることに対する、恐るべき自己認識である。肉体はそこにあっても魂は不在であるという、後期のフロイドがテーマとする「疎外感」を、当事者であるシド自身が冷笑的に告白している。
And I never knew the moon could be so big
月がこんなにも巨大だなんて、思いもしなかった。
And I never knew the moon could be so blue
月がこんなにも青く、悲しい色をしているなんて。
※「月(moon)」や「狂人(lunatic)」という言葉に象徴される通り、月は狂気への入り口を意味する。自らを飲み込もうとする狂気の巨大さと、その絶望的なまでの美しさ(青さ)に直面したシドの独白である。
And I’m grateful that you threw away my old shoes
それに、僕の古い靴を捨ててくれて感謝しているよ。
And brought me here instead dressed in red
代わりに真っ赤な服を着せて、僕をここへ連れてきてくれてさ。
※「古い靴を捨てる」「服を着せられる」という受動的な表現は、自己決定権の喪失を意味する。レコード会社やバンドの意向によって「ポップスター」という道化(真っ赤な服)に仕立て上げられ、操り人形となってしまったことへの静かなる絶望だ。
And I’m wondering who could be writing this song
それにしても、この歌を書いているのは一体誰なんだろうね。
※究極の離人症的感覚。「歌を書いている自分」と「それを客観視している自分」が完全に分裂しており、自我の崩壊が臨界点に達していることを示す戦慄のフレーズである。
[Chorus]
I don’t care if the sun don’t shine
太陽が輝かなくたって構わない。
And I don’t care if nothing is mine
僕のものが何一つなくなったって構わないさ。
And I don’t care if I’m nervous with you
君たちと一緒にいて、僕が神経をすり減らしたって構わないんだ。
※現実世界における名声、所有物、そしてバンドメンバー(you)との人間関係のすべてに対する完全なる諦念と放棄の宣言。
I’ll do my loving in the winter
僕は、冬の間に愛を育むことにするよ。
※「冬」は死や孤独、そして内閉的なインナースペースの象徴である。外部との関わりを断ち、自分だけの凍てついた狂気の世界へ引きこもるという悲しい決意表明だ。
[Interlude]
(La, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la
(ラ、ラ、ラ、ラ……
La, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la
ラ、ラ、ラ、ラ……
La, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la
ラ、ラ、ラ、ラ……
La, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la
ラ、ラ、ラ、ラ……
La, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la
ラ、ラ、ラ、ラ……
La, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la
ラ、ラ、ラ、ラ……
La, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la, la…)
ラ、ラ、ラ、ラ……)
※ここでシドがスタジオに招き入れた救世軍のブラスバンドによる、無秩序で不協和音に満ちた演奏が挿入される。「各自が好きなように演奏してくれ」というシドの指示がもたらしたこのカオスは、規律正しい現実社会と、崩壊しつつある彼の精神世界との悲劇的な衝突をそのまま音響化したものである。
[Outro]
And the sea isn’t green
海は緑色なんかじゃないし。
And I love the Queen
僕は女王陛下を愛している。
※シド・バレットのトレードマークであった色彩豊かなサイケデリックな幻覚世界(緑色の海)や、反体制的なヒッピー思想の放棄。現実はただ無味乾燥なものであり、かつての魔法は完全に消え去ってしまった。
And what exactly is a dream?
そして、夢って一体何のことだい?
And what exactly is a joke?
そして、冗談って一体何のことなんだ?
※「夢(幻覚・希望)」と「現実」、「真面目な現実」と「残酷な冗談(ジョーク)」の境界線すらも失われてしまった。シド・バレットという天才が、ピンク・フロイドという物語から完全に姿を消す直前に残した、虚無の果てにある悲しき最後の問いかけである。
