Artist: John Lennon & Yoko Ono
Album: Unfinished Music No. 1: Two Virgins
Song Title: Two Virgins (Side Two)
概要
本作は、1968年5月にジョン・レノンとオノ・ヨーコが初めて結ばれた夜に録音された前衛的音源の後半(B面)である。Side Oneが二人の音響的な出会いと探求のプロセスを記録したものだとすれば、Side Twoはより深く個人のトラウマや精神的な深淵へと潜り込む、極めて私的なドキュメンタリーだと言える。テープ・ループ、不協和音、ヨーコの即興的な声帯表現を多用するミュージック・コンクレートの手法は引き続き用いられているが、本作ではジョンの幼少期のトラウマや母親への思慕を暗示するサンプリングが象徴的に配置されている。ビートルズという巨大なポップ・アイコンとしての重圧から逃れ、自己破壊と再構築を試みるジョンの生々しい精神状態が真空パックされた一枚である。大衆音楽の文脈からは完全に乖離しているものの、その後の彼のソロ作品や「プライマル・スクリーム(原初療法)」への傾倒を予告する、音楽史および心理学的に極めて重要な実験的記録である。
和訳
[Part I: "Two Virgins No. 6"]
※本楽曲は即興のノイズやテープ操作による前衛作品であるため、言語として翻訳すべき歌詞は存在しない。Side Oneの混沌から引き続くように、不規則なテープの回転音やヨーコの特徴的な叫び声が再び立ち現れる。ファンの間では、このセクションは二人が芸術的・精神的に深く結びついた後の、新たな現実の始まりを表現していると解釈されている。ビートルズ的な美しいメロディを一切排除したこの徹底的なノイズ志向は、ジョン自身の過去への決別宣言である。
[Part II: "Hushabye Hushabye (I’d Love to Fall Asleep and Wake Up in My Mammy’s Arms)" ft. Fred Douglas and his orchestra]
※1920年代に活躍したイギリスの歌手フレッド・ダグラスのSP盤レコードからのサンプリングである。タイトルは直訳すると「ねんころり、お母さんの腕の中で眠りについて目覚めたい」となる。この極めてノスタルジックな子守唄の引用は、ジョンの根深い「母親(ジュリア)への思慕」と喪失のトラウマを痛烈に表している。前衛的で狂気的なノイズ空間のど真ん中に、突如としてこの感傷的な古い録音を挿入する手法は、孤独に苛まれていたジョンがヨーコという存在の中に「絶対的な母性」を見出し、精神的な安らぎを得ようとしていたことを示唆する極めて重要な心理的メタファーとして機能している。
[Part III: "Two Virgins No. 7"]
※テープ・ディレイやエフェクトがさらに増幅し、空間全体が歪んでいくような音響処理が施される。この音が崩壊していく過程は、ジョンが当時抱えていた結婚生活の破綻や、ポップスターという社会的地位の虚構に対するアイロニーを反映しているという見方が強い。実際、この伝説的な徹夜の録音セッションの直後、妻のシンシアが旅行から帰宅し、パジャマ姿のジョンとヨーコを目撃することになるという、現実世界の崩壊ともリンクしている。
[Part IV: "Two Virgins No. 8"]
※断続的なエコーと声の残響が支配するセクション。アルバム・タイトルである「Unfinished Music(未完成の音楽)」という概念の通り、完成されたパッケージとしての音楽を拒絶し、聴取者の解釈やその場の空気感によって初めて作品が完成するという、前衛芸術運動「フルクサス」の理念をヨーコから吸収し、ジョンが実践している様子が窺える。
[Part V: "Two Virgins No. 9"]
※ノイズの奔流がピークに達する。当時のポップ・ミュージック・シーンの頂点に君臨していたジョンが、その地位を自ら嘲笑い、破壊することへの悦びを見出しているかのような暴力的な音のコラージュである。ここでは、大衆が求める耳障りの良い音楽を徹底的に裏切ることで、初めて真の自己表現と自由を獲得したという彼特有のパンク精神と美学が剥き出しになっている。
[Part VI: "Two Virgins No. 10"]
※狂騒的な一夜のセッションが終焉へと向かう。一説によれば、二人は夜通しこの録音を行い、夜明けを迎えて初めて肉体的な関係を持ったとされている。カオスが徐々に静寂へと溶けていくこの最終パートは、嵐の後の凪のようであり、ジョンとヨーコという二人の「無垢なる者(Two Virgins)」が、世間の非難をよそに、完全に独自の王国を築き上げた瞬間の静かな祝福を意味している。
