Artist: Radiohead
Album: The Bends (Collector’s Edition)
Song Title: Molasses
概要
1996年にリリースされたシングル『Street Spirit (Fade Out)』のB面曲として発表され、後に『The Bends』コレクターズ・エディションに収録された本作は、次作『OK Computer』へと至る政治的・社会的なパラノイアの萌芽を明確に示している。タイトルである「Molasses(糖蜜)」は、黒く泥のように粘り気のある甘いシロップを指し、ここでは資本主義や政治的腐敗、そして現代社会の逃れられない停滞感の隠喩として機能している。不穏でダウナーなギターリフとトリップホップ的な重いビートに乗せて、トム・ヨークは「大量虐殺(genocide)」と「ファストフード的な消費」が平然と同居する狂った世界を、シュールレアリスムのコラージュのように描き出す。高度に発展したテクノロジーと、それに反比例して泥沼化していく人間の倫理観という残酷なコントラストを、極めてシニカルに解剖した隠れた傑作である。
和訳
[Verse 1]
Shake hands, genocide, molasses
握手、ジェノサイド、糖蜜。
※「Shake hands(握手)」は政治家や企業間の欺瞞に満ちた外交や取引を指す。そのすぐ後に「genocide(大量虐殺)」という極端なワードを配置することで、血塗られた協定が密室で平然と交わされている国際政治の腐敗を告発している。「Molasses(糖蜜)」は、それらの悪意が甘く粘り気のある消費社会のシステムへと溶け込み、大衆の目を逸らさせていく様、あるいは事態が一向に改善しない停滞感(泥沼)の暗喩である。
Jet powered caravans, molasses
ジェットエンジン搭載のキャラバン、糖蜜。
※「ジェット推進のキャラバン」という、最新鋭のテクノロジー(スピード)と前近代的な移動手段(遅さ)のグロテスクなキメラ。技術だけが異常な速度で発展する一方で、人類の精神性や社会構造は「糖蜜」のように重く停滞したままであるという、現代文明のアンバランスさを嘲笑している。
I'm too good, you're stuck on
僕は出来が良すぎる、君は張り付いたまま。
※資本主義の勝者(エリート層)の視点、あるいは特権階級の傲慢な声の代弁。「stuck on」は、甘い糖蜜にハエが張り付いて逃げられないように、搾取される側が貧困や階級という粘着質なシステムから永遠に抜け出せない構造を示している。
Rent free earthquake zone, molasses
家賃無料の地震地帯、糖蜜。
※「家賃がタダの地震地帯」とは、一見すると魅力的(無料)だが、常に致命的な崩壊の危険と隣り合わせであるという、新自由主義社会におけるプレカリアート(不安定労働者)の生存環境のメタファー。いつ破滅するか分からない足場の上に立たされながら、その甘い罠(糖蜜)に絡め取られて身動きが取れない現代人の悲哀だ。
[Verse 2]
I need someone else's glasses
誰か他人のメガネが必要だ。
※世界のあまりの惨状と不条理を前にして、自分自身の視点では真実を正しく認識できない(あるいは直視したくない)というアイデンティティの喪失。メディアや他者のレンズを通してでしか世界を測れなくなってしまった現代人の疎外感を描写している。
Starving waitresses in plasters
絆創膏だらけの、飢えたウェイトレスたち。
※「plasters(絆創膏)」は、根本的な解決にならない表面的な処置の比喩。低賃金労働で肉体を酷使し(絆創膏を貼り)、食べ物を提供する側にいながら自身は飢えている(starving)という、労働者階級の残酷なパラドックスを冷徹にスケッチしている。
Fat houseflies, genocide
丸々と太ったイエバエ、ジェノサイド。
※飢える労働者がいる一方で、死臭(ジェノサイド)に群がるハエ(戦争成金や搾取する資本家)だけが丸々と太っていくという、吐き気を催すような世界の搾取構造の帰結。
We've been stitched up, molasses
僕らは嵌められたんだ、糖蜜。
※「stitched up」はイギリスの俗語で「罠に嵌められた」「騙された」の意(傷口が縫い合わされる、という意味もある)。社会契約や国家というシステムそのものが最初から仕組まれた巨大な罠であり、僕らはすでに甘く黒い糖蜜の中で窒息しつつあるという、完全なる敗北と虚無の宣言である。
[Instrumental Outro]
