目次
アルバム解説
概要
2021年6月にリリースされたTyler, The Creatorの6作目のスタジオアルバム『CALL ME IF YOU GET LOST』(以下、CMIYGL)は、2010年代のヒップホップを牽引し、前作『IGOR』でグラミー賞最優秀ラップ・アルバム賞を獲得した彼が、自らのルーツである「ラップ」へと大胆に帰還した記念碑的作品である。しかし、これは単なる原点回帰ではない。本作は、2000年代のインターネット・ヒップホップ黎明期を象徴するDJ Dramaの「Gangsta Grillz」ミックステープ・シリーズへの熱烈なオマージュを捧げつつ、『Flower Boy』や『IGOR』で培ったシネマティックで豪奢なサウンドスケープを完璧に融合させている。タイラーは本作において「Tyler Baudelaire(タイラー・ボードレール)」という新たなペルソナを名乗り、ロールスロイスを乗り回し、パスポートをスタンプで埋め尽くす優雅な世界旅行者として振る舞う。リル・ウェイン、ファレル・ウィリアムスから、ヤングボーイ・ネヴァー・ブローク・アゲイン、ブレント・ファイヤズに至るまで、世代とジャンルを横断するゲストを招き入れた本作は、世界的なパンデミックによって移動が制限されていた時代にドロップされた、究極の逃避行であり、タイラーのキャリアにおける最も壮大な「ヴィクトリー・ラップ(ウイニングラン)」である。
コアテーマと考察
「Tyler Baudelaire」というペルソナと、ミックステープ文化の再解釈
本作を語る上で欠かせないのが、アルバム全編にわたって響き渡るDJ Dramaの煽り(アドリブ)と、「Tyler Baudelaire」という特異なキャラクターである。ボードレールとは、19世紀のフランスの詩人であり、「遊歩者(フラヌール)」という概念を確立したシャルル・ボードレールに由来する。タイラーは、かつてのDatPiff(ミックステープ配信サイト)時代の荒々しいフレックス(自慢)文化を、高級ブランドのトランクやスイスのジュネーブでの休暇といった「富裕層の退廃的な美学」へとアップデートしてみせた。DJ Dramaの過剰なシャウトは、一見すると洗練されたジャズやネオソウルのトラックとミスマッチに思えるが、これこそがタイラーの狙いである。「俺はグラミーを獲るようなポップスターになっても、根底にあるのはあの頃の泥臭いミックステープ・ラッパーなんだ」という、彼自身のアイデンティティの強烈な主張が込められている。
過去の清算とブラック・サクセスの重圧(「MASSA」と「MANIFESTO」)
煌びやかなトラベル・ダイアリーの合間で、タイラーは時折足を止め、自身の過去と現在地を冷徹に分析する。「MASSA」において、彼は初期のキャリアを「抑圧(Massa=奴隷の主人)」になぞらえ、精神的な未熟さからいかにして脱却し、現在の富と自己肯定感を手に入れたかをラップする。また、「MANIFESTO」では、インターネット上のキャンセル・カルチャーや「沈黙は暴力だ」と迫る同調圧力に対して中指を立てる。Black Lives Matter運動の渦中にあっても、彼はSNSでの形だけの(パフォーマティブな)連帯を拒絶し、自分自身の言葉と行動で黒人としての成功と自由を体現することを選んだ。これらのトラックは、かつて世間から「ホモフォビックで過激な悪童」というレッテルを貼られた彼が、いかにして自分自身のトラウマや社会の偏見を乗り越えてきたかを紐解く、極めて重要なドキュメントである。
倫理の境界線と赤裸々な悲恋(「WILSHIRE」の告白)
アルバムの終盤に鎮座する8分超のトラック「WILSHIRE」は、本作における真のクライマックスである。ここでタイラーは「友人の恋人に本気で惹かれてしまった」という、倫理的に許されない泥沼の三角関係を、一息に吐き出すように語る。『IGOR』が失恋を高度に様式化されたポップ・アートへと昇華させたのに対し、「WILSHIRE」は意図的にノイズが混じる粗いワンテイクの録音で、極めて私的で生々しい。彼は自分の狡さ、罪悪感、そしてどうしても抑えきれなかった欲望を、弁解することなく赤裸々に綴っている。「金も名声もすべて手に入れた世界旅行者」であっても、一人の人間の心だけはどうしても手に入れることができない。この残酷なコントラストと人間の脆さの露呈が、豪奢なフレックス・アルバムである本作に、血の通った普遍的な哀愁を与えているのだ。
総評
『CALL ME IF YOU GET LOST』は、タイラー・ザ・クリエイターのすべての「フェーズ」が奇跡的なバランスで結合したマスターピースである。初期の荒々しいラップ・スキル、『Wolf』や『Cherry Bomb』での反逆心、『Flower Boy』の美しい和音、『IGOR』の深いストーリーテリング。そのすべてを「Gangsta Grillz」というヒップホップの歴史的フォーマットに流し込み、彼にしか鳴らせない特異なポップ・ミュージックへと再構築した。2度目のグラミー賞最優秀ラップ・アルバム賞をもたらした本作は、「ラップ・アルバムとはこうあるべきだ」というジャンルの固定観念を軽やかに飛び越え、彼が現代のポピュラー音楽界において、誰も追いつけない孤高の領域(SAFARI)へと到達したことを証明する決定的な一枚である。
トラック和訳
1. SIR BAUDELAIRE
2. CORSO
3. LEMONHEAD
4. WUSYANAME
5. LUMBERJACK
6. HOT WIND BLOWS
7. MASSA
8. RUNITUP
9. MANIFESTO
10. SWEET / I THOUGHT YOU WANTED TO DANCE
11. MOMMA TALK
12. RISE!
13. BLESSED
14. JUGGERNAUT
15. WILSHIRE
16. SAFARI
