目次
アルバム解説
概要
2019年10月にリリースされた9作目のスタジオ・アルバム『JESUS IS KING』は、Kanye Westのキャリアにおいて最も劇的で、最も賛否両論を巻き起こしたパラダイムシフトである。前年に幻のアルバムとなった『Yandhi』の制作と度重なる延期を経て、彼は突如として「世俗的な音楽(セキュラー・ミュージック)からの引退」を宣言。自身が主宰するゴスペル・プロジェクト「サンデー・サービス(日曜礼拝)」でのスピリチュアルな覚醒を経て、本作は完全なるキリスト教音楽(クリスチャン・ヒップホップ)として世に放たれた。性的な言及やFワードといった従来のヒップホップのクリシェは完全に排除され、全編を通して神への絶対的な服従と賛美が歌われている。ラップ・シーンの頂点に君臨し、欲望とエゴの化身として振る舞ってきた男が、大衆音楽のど真ん中で純度100%の宗教アルバムを投下したという事実は、現代のポピュラー音楽シーンにおいてKanyeにしか成し得ない極端なアート・ステートメントであった。
コアテーマと考察
幻の『Yandhi』からの変容と自己浄化のプロセス
本作を読み解く上で欠かせないのが、お蔵入りとなった未発表アルバム『Yandhi』の存在である。GeniusやRedditのコアなリスナーたちは、本作の多くの楽曲が『Yandhi』の骨格を流用し、その歌詞を徹底的に「浄化(ピュリファイ)」して作られたことを指摘している。例えば、「Selah」は元々「Chakras」という世俗的な楽曲であり、「Use This Gospel」は「Law of Attraction」という曲のビートとメロディを再構築したものである。かつて富やセックスを歌っていたフロウをそのままに、リリックだけを「ハレルヤ」や「神の恩寵」へと書き換えるこの手法は、単なるリサイクルではない。「罪深き過去の自分を、神の力によって聖なるものへと作り変える」というKanye自身の自己浄化のプロセスそのものを、音楽的なメタファーとして体現しているのである。
資本主義と信仰の矛盾(「On God」に見るエゴの残滓)
完全な信仰を誓いながらも、Kanyeの肥大化したエゴが完全に消え去っていない点こそが、本作の最も人間臭く、そして議論を呼ぶポイントである。Pierre Bourneがプロデュースした「On God」において、彼は神への献身を歌いながら、同時に自身が展開するYeezyブランドのスニーカーが高額である理由を「家族を養い、搾取から逃れるためだ」と正当化する。億万長者(ビリオネア)でありながら神の僕(しもべ)を自称し、富の追求と精神の救済を同時に肯定しようとするこのアクロバティックな論理展開は、「究極のナルシシズムの裏返しとしての信仰」とも批判された。しかし、資本主義の頂点に立つアメリカの黒人男性が抱える、この矛盾に満ちた生々しい葛藤こそが、Kanye Westというアーティストの尽きない魅力(あるいは業)である。
家族への回帰と保守的な精神の安住(「Follow God」と「Closed on Sunday」)
精神的な崩壊と世間からのバッシング(キャンセル・カルチャー)に疲れ果てた彼が、最終的に救いを見出したのは「伝統的な家族観」と「キリスト教的保守主義」であった。アルバム最大のヒット曲となった「Follow God」では、実の父親と言い争ったエピソードを赤裸々に語り、親子の確執と和解、そして「神に従うことの難しさ」を往年のソウル・サンプリングに乗せて吐露している。また、「Closed on Sunday」では、日曜定休を貫くキリスト教系のファストフード店「Chick-fil-A」をメタファーに用い、SNSや世間のノイズから家族を守り抜く決意を歌う。ここでは、かつて『Yeezus』で反逆神として暴れ回った男の面影はなく、ただ平穏と秩序を渇望する一人の父親の姿が浮き彫りになっている。
総評
『JESUS IS KING』は、Kanye Westのディスコグラフィの中で最も短く、かつ最も異端な作品である。音楽的な完成度やミックスの粗さに関してはリリース直後から賛否が分かれたが、ヒップホップというジャンルの可能性を「日曜礼拝」の領域にまで拡張した影響力は計り知れない。自らの精神の平穏を保つために宗教という絶対的な錨(アンカー)を必要とした彼の切実な精神状態が、このアルバムには真空パックされている。世俗との決別を宣言した本作は、結果的に後の超大作『Donda』(2021年)で亡き母への祈りへと繋がっていくための、必要不可欠な魂の通過儀礼(イニシエーション)であった。現代のポップ・カルチャーにおいて、これほどまでに大胆かつ公に個人の信仰告白を行ったヒップホップ・アルバムは、後にも先にも存在しない。
トラック和訳
1. Every Hour
2. Selah
3. Follow God
4. Closed on Sunday
5. On God
6. Everything We Need
7. Water
8. God Is
9. Hands On
10. Use This Gospel
11. Jesus Is Lord
