Artist: Mos Def
Album: Black on Both Sides
Song Title: Hip Hop
概要
1999年にリリースされたMos Def(現Yasiin Bey)の歴史的デビューアルバム『Black on Both Sides』に収録された、ヒップホップという文化の構造を解剖するマスターピースである。Diamond Dがプロデュースを手掛け、David Axelrodの「The Warnings (Part II)」の重厚でシネマティックなループを基盤としている。Mos Defは本作で、ヒップホップを単なる音楽ジャンルとしてではなく、奴隷制からジャズへと続くアフリカ系アメリカ人の血塗られた歴史と地続きにある社会的ドキュメンタリーとして描き出した。同時に、商業主義に飲まれ、刑務所のような搾取構造と化した音楽産業(インダストリー)の暗部を容赦なく暴き出す。リチャード・ライトやラルフ・エリソンといった黒人文豪の暗喩と、ストリートの過酷な現実を交差させた本作は、コンシャス・ラップの最高到達点として現在も高く評価されている。
和訳
[Intro]
You say, "One for the treble, two for the time"
お前らは言う、「トレブルに1杯、時間に2杯」ってな
※Slick Rickの「Children's Story」やSpoonie Geeなどのオールドスクール・ヒップホップにおける定番のコール「One for the treble, two for the bass」へのオマージュであり、過去の遺産への敬意から楽曲をスタートさせている。
Come on, y'all, let's rock this!
さあみんな、ブチかまそうぜ!
You say, "One for the treble, two for the time"
お前らは言う、「トレブルに1杯、時間に2杯」ってな
Come on!
さあ来い!
Speech is my hammer, bang the world into shape
言葉は俺のハンマー、世界をぶっ叩いて形を整えるんだ
※ラップ(Speech)を工具・武器に見立てている。音楽を通じて歪んだ社会システムや世界を正義の形へと矯正(bang into shape)するという、コンシャス・ラッパーとしての宣言である。
Now let it fall, huh!
さあ、振り下ろすぜ、ハッ!
[Verse 1: Mos Def]
My restlessness is my nemesis
俺の落ち着きのなさが、俺自身の最大の敵だ
It's hard to really chill and sit still, committed to page
マジでリラックスして、じっと座ってページに向き合うのは難しいんだ
※ストリートの過酷な現実や彼自身の多動的な性質を前にして、平静を保ってリリック(文学)を書くことの精神的ハードルの高さを吐露している。
I write a rhyme, sometimes won't finish for days
ライムを書いても、何日も完成しないことだってある
Scrutinize my literature, from the large to the miniature
自分の文学(リリック)を、マクロからミクロまで徹底的に吟味するんだ
I mathematically add-minister, subtract the wack
数学的に言葉を足して管理し、ダサい部分を引いていく
※Five-Percent Nationの教義である「Supreme Mathematics(至高の数学)」からの影響が見られる。「add-minister(追加して管理/牧師)」という見事なワードプレイで、ヒップホップにおける言語構築の緻密さを示している。
Selekta! Wheel it back, I'm feelin' that
セレクター! 曲を巻き戻せ、今のバイブス最高だぜ
※ジャマイカのダンスホールやサウンドシステム文化におけるDJ(セレクター)への定番の呼びかけ(Pull up / Wheel it back)。ヒップホップのルーツがジャマイカのサウンドシステムにあることを聴衆にリマインドさせている。
(Ha-ha-ha) From the core to the perimeter, Black
(ハハハ)核の部分から外縁まで、真っ黒(ブラック)だぜ
※彼自身のアイデンティティや、ヒップホップという文化そのものが隅々までブラック・カルチャーに根ざしていることの誇示。「Black」は同胞への呼びかけでもある。
You know the motto — stay fluid even in staccato
モットーは分かってるだろ。スタッカート(断続的)な時でも、常に流れるように(フイルドに)いることさ
※スタッカートのように短く切るような厳しい状況下でも、ブルース・リーの「水になれ」のように柔軟に生き残るというストリートの処世術。同時に彼のフロウの技術的特徴も表している。
(Mos Def) Full-blooded, full throttle
(モス・デフ)純血種、フルスロットルでいくぜ
Breathe deep inside the drum hollow... there's the hum
ドラムの空洞の奥深くで息を吸う… ハム音が聞こえるだろ
※ドラムのビートの中にある沈黙や余韻(グルーヴ)を感じ取る、生来のミュージシャンとしての鋭い感覚。
Young man, where you from? Brooklyn number one!
若い衆、出身はどこだ? ブルックリンがナンバーワンだ!
※Big Daddy Kaneなど、ブルックリン出身の偉大な先人たちへのシャウトアウト。
Native son speakin' in the native tongue
ネイティブ・サンがネイティブ・タン(母国語)で語るのさ
※リチャード・ライトの1940年の小説『Native Son(アメリカの息子)』と、Mos Def自身が所属していたコレクティブ「Native Tongues(A Tribe Called Quest等が所属)」を掛けた高度なダブルミーニング。アメリカ社会が生み出した黒人としての宿命を背負いながら語るという宣言。
I got my eyes on tomorrow (There it is!)
俺の目は明日(未来)を見据えてる(そこだ!)
While you still tryna find where it is
お前らがまだそれがどこにあるか探してる間にな
I'm on the Ave. where it lives and dies, violently but silently
俺はヒップホップが生きては死ぬストリート(アベニュー)にいる。暴力的だが、静かにね
※ゲットーにおける日常的な暴力と死が、白人社会のメインストリームメディアからは無視され「静かに(silently)」処理されている現実への冷酷な視線。
Shine so vibrantly that eyes squint to catch a glimpse
眩しすぎるほど輝いてるから、チラッと見るだけでも目を細めるレベルだぜ
Embrace the bass with my dark ink fingertips
俺の黒いインクに染まった指先でベースを抱きしめる
※ペンを握りリリックを書き続ける黒人(Dark ink)の手と、音楽(Bass)を深く愛する姿勢の融合。
Used to speak the King's English
昔はキングズ・イングリッシュ(標準英語)を話してた
※白人中心の社会において「正しい・教養がある」とされる英語を強いられていた過去への言及。
But caught a rash on my lips, so now I chat just like this
でも唇に発疹ができちまったから、今はこうやってチャット(ラップ)してるのさ
※抑圧者の言葉を話すことは自分にとって不自然で拒絶反応(発疹)が出るため、自分たちの言語(AAVEやパトワ、ラップ)で自己表現をするという言語的アイデンティティの確立。「Chat」はレゲエのディージェイが歌うことも指す。
Long range from the baseline (Swish!)
ベースラインからのロングレンジ・シュート(スウィッシュ!)
※バスケットボールのベースラインからのシュート(Swish=網を綺麗に通過する音)と、音楽の「Bassline(ベースライン)」を見事に掛けたライム。
Move like a apparition, low to the ground with ammunition
亡霊みたいに動くぜ。弾薬を抱えて地面すれすれを低空飛行だ
(CH-CH-POW!) Move from the gate, voice cued on your tape
(チャカ・ドン!)ゲートから飛び出し、お前のテープに俺の声がキューされる
Puttin' food on your plate, many crews can relate
お前の皿にメシを盛ってやる。多くのクルーが共感できるはずだ
※「Food on your plate」は知識や知恵(Food for thought)を提供すること、また実際に音楽で稼いでコミュニティの腹を満たすことの両方を意味する。
Who choosin' your fate?
お前の運命を決めるのは誰だ?
Yo! We went from pickin' cotton to chain gang line choppin'
ヨー! 俺たちは綿花摘みから、囚人労働の土木作業へと変わり
※奴隷制時代の綿花畑での過酷な労働から、奴隷解放後も「黒人法」によって不当に逮捕され、鎖で繋がれたままタダ働きさせられた(Chain gang)歴史的変遷。
To Be-Boppin', to hip-hoppin'
そしてビーバップになり、ヒップホップへと進化した
※抑圧された黒人コミュニティの苦難から、どのようにしてジャズ(ビバップ)やヒップホップといった革新的な芸術が誕生したのか。その血塗られた文化の系譜をわずか2行で総括したヒップホップ史に残る至高のパンチラインである。
Blues people got the blue chip stock option
ブルースの民が、今やブルーチップ(優良株)のストックオプションを持ってるんだぜ
※Amiri Baraka(LeRoi Jones)の著書『Blues People』からの引用。「ブルース(悲哀)を歌っていた人々」が、今やヒップホップの商業的成功によって多国籍企業に巨万の富をもたらす優良株(Blue chip)として扱われている強烈な皮肉。
Invisible man, got the whole world watchin'
透明人間が、今じゃ世界中の注目を集めてるのさ
※Ralph Ellisonの小説『Invisible Man(見えない人間)』からの引用。社会から無視され存在しないかのように扱われてきた黒人が、皮肉にもヒップホップを通じて世界的なポップアイコンへと変貌した矛盾を突いている。
(Where ya at?!) I'm high, low, East, West, all over your map
(どこにいるんだ?!)高く、低く、東に西に、お前の地図の至る所にな
I'm gettin' big props with this thing called hip-hop
俺はこのヒップホップってやつで、デカいプロップス(評価)を得てる
Where you can either get paid or get shot
大金を稼ぐか、それとも撃たれて死ぬかの世界だ
※ヒップホップ業界の過酷な二極化。成功して富を得るか、ストリートの暴力(または業界の裏切り)で命を落とすか。2PacやThe Notorious B.I.G.の悲劇を念頭に置いた現実的な描写である。
When your product in stock, the fair-weather friends flock
お前の商品(曲)が店に並べば、調子の良い友達が群がってくる
When your chart position drop, then the phone calls..
でもチャートの順位が落ちれば、途端に電話のベルは…(鳴らなくなる)
Chill for a minute, let's see who else hot, snatch your shelf spot
ちょっと待ってろ、他に誰が売れてるか見てみようぜってな。すぐにお前の棚のスペースは奪われる
※音楽産業におけるアーティストの使い捨て体質(Commodification)を痛烈に批判。アーティストは陳列棚の商品(Product)に過ぎない。
Don't gas yourself, Akh'
思い上がるなよ、アック
※「Akh」はアラビア語(Akhī)由来で、イスラム教徒の黒人たちの間で使われる「Brother(兄弟)」を意味するスラング。同胞に対して、業界の甘い罠に騙されるなと警告している。
The industry just a better built cell block
この業界なんて、ちょっと設備が良いだけの牢獄(セル・ブロック)に過ぎないんだから
※レコード会社の搾取的な契約やアーティストの権利剥奪を、刑務所のシステム(Prison Industrial Complex)と同一視している。Mos Defの社会構造への深い洞察が光るライン。
A long way from the shell tops
シェル・トップスの時代からは遠く離れちまった
※「Shell tops」はRun-DMCが愛用したAdidas Superstarスニーカーのこと。ヒップホップがピュアでストリートの代弁者だったオールドスクール時代への郷愁。
And the bells that L rocked (Rock, rock, rock, rock...)
Lが鳴らしたあのベルの時代からな(ロック、ロック、ロック…)
※LL Cool Jの1985年のクラシック「Rock the Bells」への直接的なオマージュ。
[Scratching]
The more emotion I put into it, the harder I rock
感情を注ぎ込めば注ぎ込むほど、俺は激しくロックする
※A Tribe Called Questなどの楽曲でも聴かれる定番の声ネタのスクラッチ。
[Verse 2: Mos Def]
Hip-hop is prosecution evidence
ヒップホップは検察の証拠品だ
※ラッパーの歌詞が法廷で犯罪の自白や証拠として使われるという、アメリカの司法システムにおけるラップミュージックの不当な扱い(Rap on Trial問題)を1999年の時点で鋭く指摘している。
An out of court settlement, ad space for liquor
示談金であり、酒の広告スペースでもある
※アーティストがトラブルをカネで解決し、MVや歌詞が大手酒造メーカー(モエやヘネシー等)の巨大な宣伝媒体に成り下がっている商業主義への批判。
Sick without benefits (HUH?!)
福利厚生もないのに病んでる(ハァ?!)
※莫大な利益を生むにも関わらず、アーティストには医療保険や福利厚生が保証されていない業界の搾取構造。
Luxury tenements chokin' the skyline
高級マンション群がスカイラインを窒息させてる
※ジェントリフィケーションによるゲットーの圧迫。富裕層の象徴である巨大なビル群が、貧しい者たちから空や光を奪っている情景。
It's low life gettin' tree-top high
どん底の生活をしてる奴らが、木のてっぺんくらいハイになってるのさ
※貧困層(Low life)が過酷な現実からの逃避のためにドラッグで極限までハイ(Tree-top high)になっている悲惨な状況。
It is a back water remedy, bitter and tender memory
それは僻地の民間療法であり、ほろ苦くも優しい記憶だ
※ヒップホップが都市のゲットーという「僻地」で生まれた魂の治療薬であることを詩的に表現。
A Class E felony, facin' the death penalty (HUH?!)
E級重罪であり、死刑に直面してるんだ(ハァ?!)
※ドラッグ所持や非暴力的な罪(Class E felony)で黒人が過剰に投獄され、警察の暴力によって時には死に追いやられる司法の不平等。ヒップホップ自体も常に罪と隣り合わせにある。
Stimulant and sedative, original repetitive
興奮剤であり鎮静剤。オリジナルの反復(ループ)だ
※ヒップホップのサンプリング文化による反復構造(ループ)と、それが聴く者に与える音楽的麻薬効果を表現。
Violently competitive, a school unaccredited (There it is!)
暴力的なまでに競争が激しく、認可されてない学校なんだよ(そこだ!)
※ストリートという非正規の教育機関(School of Hard Knocks)で、血みどろの競争を勝ち抜かなければならない現実。
The break beats you get broken with, on time and inappropriate
お前がブチのめされるブレイクビーツ。オンタイムだが不適切だ
※ドラムのブレイク(Break)と、心が折れる(Broken)を掛けた表現。社会のモラルからは「不適切」とされながらも、リズムは常に「オンタイム」であるという対比。
Hip-hop went from sellin' crack to smokin' it
ヒップホップはクラック(麻薬)を売る側から、自分で吸う側に成り下がっちまった
※かつてはハスラーとしてドラッグを売り、その金を音楽制作の資金にしていたが、今ではアーティスト自身がドラッグに溺れて自滅しているシーンの堕落を嘆いている。
Medicine for loneliness remind me of Thelonious and Dizzy
孤独を癒す特効薬。セロニアスやディジーを思い出させるぜ
※ジャズの巨匠セロニアス・モンクとディジー・ガレスピーへの言及。ヒップホップはジャズの系譜を継ぐ「黒人の孤独や痛みを癒すための音楽」であるという確固たるリスペクト。
Propers to B-Boys gettin' busy
忙しく動き回るBボーイたちに敬意(プロップス)を
The war-time snap shot, the working man's jack-pot
戦争時代のスナップ写真であり、労働者のジャックポット(一攫千金)だ
※ゲットーという戦場(War-time)のリアルを切り取った報道写真(ラップ)であり、貧困層が音楽で一攫千金を狙う夢(Jack-pot)でもある。
A two dollar snack box sold beneath the crack spot
クラックの売人の下で売られてる、2ドルのスナックボックス
※ヒップホップが、麻薬ビジネスの片隅で売買されるチープな消費財のように扱われている現状。
Olympic sponsor of the black Glock
黒いグロック(拳銃)のオリンピック・スポンサー
※ヒップホップ産業が銃社会やギャング・カルチャーを過剰に美化し、結果的に武器商人(Glock社など)の巨大な宣伝塔として機能しているという痛烈な自己批判。
Gold medalist in the back shot
バック・ショットの金メダリストだ
※「Back shot」は背後からの騙し討ち(銃撃)、もしくは性行為を意味するスラング。暴力とセックスの過剰なアピールばかりで頂点(金メダリスト)を競い合う現在のシーンへの呆れ。
From the sovereign state of the have-nots
持たざる者(貧困層)による独立主権国家から来たんだ
※ヒップホップは本来、社会の底辺にいる者たちの独立した表現空間であるという矜持。
Where farmers have trouble with cash crops (HUH?!)
農民たちが換金作物で苦労してるような場所さ(ハァ?!)
※「Cash crops(換金作物)」は大麻や麻薬のメタファー。ストリートのハスラーたち(Farmers)が非合法な商売で生き残るのにすら苦労しているゲットーの貧困状態。
It's all-city like Phase 2
Phase 2のようにオール・シティ(街中)に広まってる
※「Phase 2」は1970年代のブロンクスで活躍した伝説的なグラフィティ・ライターであり、バブルレターの創始者。彼の作品がニューヨーク中の地下鉄(All-city)を埋め尽くしたように、ヒップホップも今や世界中を覆い尽くしている。
Hip-hop will simply amaze you, praise you, pay you
ヒップホップはお前をただ驚かせ、称賛し、金を支払ってくれるだろう
Do whatever you say do, but, Black, it can't save you
お前の言う通り何でもしてくれる。だがなブラザー、ヒップホップがお前を「救う」ことはできないんだぜ
※楽曲を締めくくる最も強烈なパンチライン。「Black」は黒人の同胞への呼びかけ。ヒップホップは金や名声を与えてくれる素晴らしいツールだが、人間の魂の救済や根本的な精神の平穏をもたらすのは「自分自身の内なる心や神への信仰」であるというMos Defの哲学。彼が単なるラッパーの枠を超え、シーンの構造を俯瞰する預言者のような視座を持っていることが証明される完璧な結末である。
