Artist: Pink Floyd
Album: The Wall
Song Title: Nobody Home
概要
1979年のロック・オペラ『ザ・ウォール(The Wall)』の第2部に収録された、ロジャー・ウォーターズの冷徹な自己分析と失われた友への哀惜が交錯する内省的な楽曲である。外界から完全に心を閉ざし、ホテルの部屋で独りテレビを見つめ続ける主人公「ピンク」が、自身の所有物や状態を無気力に羅列していく。特筆すべきは、歌詞の随所に初期ピンク・フロイドのリーダーであり、狂気によってバンドを去ったシド・バレットの生々しい姿(輪ゴムで留めた靴、焦げたシャツ、虚ろな目など)が投影されている点だ。物理的には何でも持っているロック・スターが、精神的には「誰もいない(Nobody Home)」という完全な空虚に陥っている様を、テレビのノイズとピアノの調べに乗せて描き出した、プログレッシブ・ロック史に残る孤絶のポートレイトである。
和訳
[Intro]
“But there's somebody else that needs taking care of in Washington…”
「しかし、ワシントンには他にも面倒を見るべき人物がいる…」
“Who's that?”
「誰だい?」
“Rose Pilchek!”
「ローズ・ピルチェックよ!」
“Rose Pilchek? Who's that?”
「ローズ・ピルチェック? 誰だいそれは?」
child screams
(子供の悲鳴)
(Shut up!)
(黙れ!)
“36-24-36 Laugh Track does that answer your question?”
「上から36、24、36。(笑い声)これで質問の答えになったかしら?」
(Oi! I've got a little black book with me poems in!)
(おい! 俺の詩を書いた黒い手帳があるぞ!)
“Who's she?”
「彼女は誰だ?」
“She was 'Miss Armored Division' in 1961… ”
「彼女は1961年の『ミス機甲師団』で…」
※アメリカのTVドラマ(シットコム)や映画などの音声のコラージュ。ホテルの部屋で孤独にテレビのチャンネルを回し続けるピンクの空虚な状態を示している。途中に挿入される「黙れ!」や「詩の手帳」という怒声は、主人公自身の内面の叫びが外界のノイズと混線している様子を表現している。
[Verse 1: Roger Waters]
I've got a little black book with my poems in
俺は、自作の詩を書き込んだ小さな黒い手帳を持っている。
Got a bag with a toothbrush and a comb in
歯ブラシと櫛が入ったバッグも持っている。
When I'm a good dog, they sometimes throw me a bone in
俺が「いい犬」でいれば、奴らは時々骨を投げて寄こすのさ。
※「犬」や「骨」は前作『アニマルズ(Animals)』のテーマの反復。音楽産業(奴ら)に従順な商品でいれば、報酬(骨)を与えられるというロック・スターとしてのシニカルな自己卑下である。
I got elastic bands keeping my shoes on
靴が脱げないように、輪ゴムで縛り付けている。
※かつてのバンドのカリスマであり、狂気へと沈んだシド・バレットの実際の奇行(靴を輪ゴムで留めていた)をそのまま描写している。ピンクの狂気がシドのそれと完全に同化しつつあることを示す重要なフレーズだ。
Got those swollen-hand blues
それに、手が腫れ上がるようなブルースも抱えている。
※次曲以降の「Comfortably Numb」で語られる、幼少期の高熱による手の腫れの感覚(トラウマ)への言及である。
I've got thirteen channels of shit on the T.V. to choose from
テレビには13チャンネルものくだらない番組があって、選び放題だ。
I've got electric light, and I've got second sight
電灯の明かりもあるし、超能力(第二の視覚)だって持っている。
I've got amazing powers of observation
俺には、驚くべき観察力があるんだ。
※物質的な豊かさや「特別な能力」を羅列しているが、これらは全て絶対的な孤独を正当化するための虚勢に過ぎない。
[Chorus 1: Roger Waters]
And that is how I know
だからこそ、俺には分かるんだ。
When I try to get through
どれだけ俺が繋がろうとして。
On the telephone to you
君に電話をかけたところで。
There will be nobody home
そこには「誰もいない」ってことが。
※「Nobody home」は、「家には誰もいない(妻は電話に出ない)」という物理的な不在と、「頭の中に誰もいない(正気を失っている、あるいは心が空っぽである)」という精神的な不在のダブルミーニングである。
[Verse 2: Roger Waters]
I've got the obligatory Hendrix perm
お決まりのジミ・ヘンドリックス風のパーマもかけている。
And the inevitable pinhole burns
それに、どうしてもついて回る小さな焦げ穴が。
All down the front of my favorite satin shirt
お気に入りのサテンのシャツの前面に、無数に開いているのさ。
※シド・バレットへのパーソナルな言及。ドラッグで朦朧としながらタバコを吸い、服を焦がしていた彼の姿を描写している。ロック・スターの記号(パーマやサテンのシャツ)を身に纏いながら、内面は完全に崩壊している。
I've got nicotine stains on my fingers
指先にはニコチンの染みがこびりつき。
I've got a silver spoon on a chain
首からは、チェーンに繋がれた銀のスプーンをぶら下げている。
※「銀のスプーン」はコカインを吸引するための道具。裕福な生まれ(born with a silver spoon in one's mouth)への皮肉と、薬物依存のメタファーである。
I've got a grand piano to prop up my mortal remains
俺の死骸(肉体)を支え立てるための、グランドピアノだってある。
I've got wild, staring eyes
そして、狂気を孕んだ、虚空を見つめる両の瞳も。
※これもシド・バレットの有名な「1000ヤードの凝視(ドラッグによる焦点の合わない眼差し)」を指している。
And I've got a strong urge to fly
それに、大空へと飛び立ちたいという強烈な衝動も抱えている。
But I've got nowhere to fly to
だが、俺には飛び立つべき場所などどこにもないんだ。
※楽曲「Mother」で「ママはお前が飛び立つのを許さない」と歌われた抑圧の決定的な結果。壁の中に完全に閉じこもった彼には、もはや向かうべき外界(未来)が存在しない。
[Chorus 2: Roger Waters]
Ooh, babe, when I pick up the phone
ああ、ベイビー、俺が受話器を取っても。
(“Surprise, surprise, surprise…”)
(「驚いた、驚いた、驚いたね…」)
※再びテレビのシットコム音声。妻からの応答を期待するが、返ってくるのはテレビの虚無的なノイズだけである。
There's still nobody home
そこにはやはり、誰もいない。
[Outro: Roger Waters]
I've got a pair of Gohil's boots
俺はゴーヒルズのブーツを一足持っていて。
※「Gohil's boots」は当時のロンドンのミュージシャンが愛用していたブランド。
And I've got fading roots
そして、色褪せて消えゆく「ルーツ」を抱えている。
※「fading roots(消えゆくルーツ)」は、スターダムの頂点で自己のアイデンティティや帰属すべき故郷、人間的な繋がりを失ってしまった疎外感を表現している。
("Where the hell are you?")
(「一体全体、お前はどこにいるんだ?」)
("Over 47 German planes were destroyed with the loss of only 15 of our own aircraft")
(「47機以上のドイツ軍機が撃墜されました。我が軍の航空機の損失はわずか15機です」)
※映画『空軍大戦略(Battle of Britain)』の音声。戦争のトラウマがテレビのノイズを通じて再びフラッシュバックする。
("Where the hell are you, Simon?")
(「一体全体、どこにいるんだ、サイモン?」)
