Artist: Pink Floyd
Album: The Wall
Song Title: Mother
概要
1979年発表のロック・オペラ『ザ・ウォール(The Wall)』に収録された、母親の過干渉と偏愛が主人公「ピンク」の精神的自立を阻害し、強固な「壁」を構築していく過程を描いたアコースティック・バラード。第二次世界大戦で夫(ピンクの父)を失った母親が、息子を外界の脅威から守ろうとするあまり、自らの恐怖やパラノイアを植え付けてしまう悲劇を描く。ロジャー・ウォーターズが不安に苛まれる息子ピンクのパートを、デヴィッド・ギルモアが過保護で支配的な母親のパートを歌い分ける構成が秀逸であり、親の愛情が時として最大の抑圧(壁のレンガ)になり得るというフロイド流の冷徹な精神分析が光る名曲である。
和訳
[Verse 1: Roger Waters]
Mother, do you think they'll drop the bomb?
母さん、奴らは爆弾を落とすと思うかい?
※「爆弾」は冷戦下の核戦争への恐怖だけでなく、外界から主人公ピンクの平穏を脅かすあらゆる暴力的要素のメタファーである。
Mother, do you think they'll like this song?
母さん、奴らはこの歌を気に入ってくれると思う?
※ロック・スターとしての成功と、大衆(奴ら)からの承認欲求に対する根源的な不安。
Mother, do you think they'll try to break my balls?
母さん、奴らは僕の金玉を潰しにかかってくるかな?
※「break one's balls」はひどく痛めつける、精神的に去勢するという意味のスラング。社会や体制によって男のプライドや自我が破壊されることへの恐怖。
Ooh-ah, Mother, should I build the wall?
ああ、母さん、僕は壁を築くべきなのかな?
※外界の恐怖から身を守るための「壁」の建設について、他ならぬ母親の許可を求めている。完全な精神的依存の表れ。
[Verse 2: Roger Waters]
Mother, should I run for president?
母さん、僕は大統領に立候補すべきかな?
※子供じみた誇大妄想。後の独裁者(ファシスト)的なペルソナへの変貌を仄めかしている。
Mother, should I trust the government?
母さん、僕は政府を信じてもいいのかな?
※父親を戦争で奪った国家権力に対する不信感。
Mother, will they put me in the firing line?
母さん、奴らは僕を最前線(銃撃の的)に立たせるのかな?
※「firing line」は戦場や激しい非難の的を指す。ロック・スターとして矢面に立つことの恐怖と、戦死した父親のトラウマが交錯している。
Ooh-ah, is it just a waste of time?
ああ、そんなことただの時間の無駄なのかな?
[Chorus: David Gilmour]
Hush now, baby, baby, don't you cry
シーッ、いい子だから、坊や、泣かないでおくれ。
※ここからデヴィッド・ギルモアによる母親のパート。優しく甘いメロディに乗せて、恐るべき支配欲が歌われる。
Mamma's gonna make all of your nightmares come true
ママが、お前の悪夢をすべて現実のものにしてあげるからね。
※一見すると矛盾したフレーズだが、子供に外界の恐怖(悪夢)を信じ込ませることで、自分のもとに縛り付けておこうとする毒親の心理を突いている。
Mamma's gonna put all of her fears into you
ママの抱えている恐怖をすべて、お前の中に注ぎ込んであげる。
※夫を戦争で失ったトラウマとパラノイアの連鎖。母親の自己防衛本能が、結果として息子の自我を侵食していく。
Mamma's gonna keep you right here, under her wing
ママが、お前をずっとこの羽の下に匿い続けてあげるから。
She won't let you fly, but she might let you sing
お前が飛び立つのを許しはしないけれど、歌うことくらいは許してあげるかもしれないわ。
※精神的な自立(fly)の完全な否定。ロック・スターとして歌うことすらも、母親の庇護と監視の下でしか成立していないという主人公の閉塞感。
Mamma's gonna keep baby cozy and warm
ママが、お前をずっと心地よく、暖かく保ってあげるからね。
※「cozy and warm(心地よく暖かい)」は、後に「Comfortably Numb(心地よく麻痺した)」へと繋がる、安全だが死に等しい精神状態のメタファーである。
[Post-Chorus: David Gilmour]
Ooh, babe, ooh, babe, ooh, babe
オー、ベイビー、ベイビー、ベイビー。
Of course Mamma's gonna help build the wall
もちろん、ママが壁を築くのを手伝ってあげるからね。
※主人公を外界から隔絶する「壁」は、母親の過干渉によって決定的に強固なものとなる。
[Guitar Solo]
※デヴィッド・ギルモアによる、美しくもメランコリックなギター・ソロ。母の愛という名の檻に囚われたピンクの葛藤と悲哀を音響化している。
[Verse 3: Roger Waters]
Mother, do you think she's good enough for me?
母さん、彼女は僕に相応しい女性だと思うかい?
※大人になり、妻となる女性と出会ってもなお、母親の承認を求めてしまう精神的幼児性。
Mother, do you think she's dangerous to me?
母さん、彼女は僕にとって危険な存在だと思うかい?
Mother, will she tear your little boy apart?
母さん、彼女はあなたの可愛い坊やをズタズタに引き裂いてしまうのかな?
※後の結婚生活の破綻への予感。「あなたの可愛い坊や(your little boy)」と自称する異常性が際立つ。
Ooh-ah, Mother, will she break my heart?
ああ、母さん、彼女は僕の心を壊してしまうのかな?
[Chorus: David Gilmour]
Hush now, baby, baby, don't you cry
シーッ、いい子だから、坊や、泣かないでおくれ。
Mamma's gonna check out all your girlfriends for you
ママが、お前のガールフレンドたちをみんな値踏みしてあげるからね。
Mamma won't let anyone dirty get through
ママは、汚らわしい女なんて誰一人として近寄らせはしないわ。
※過激な潔癖症と性的抑圧。息子を自分以外の女性(外界)から引き離そうとする母の異常な執着。
Mamma's gonna wait up until you get in
ママは、お前が帰ってくるまでずっと起きているからね。
Mamma will always find out where you've been
ママには、お前がどこへ行っていたかなんていつだって分かるのよ。
※パノプティコン(全展望監視システム)のような徹底的な監視と束縛。
Mamma's gonna keep baby healthy and clean
ママが、お前をずっと健康で清潔に保ってあげるからね。
[Post-Chorus: David Gilmour]
Ooh, babe, ooh, babe, ooh, babe
オー、ベイビー、ベイビー、ベイビー。
You'll always be “baby” to me
ママにとって、お前はいつまで経っても「赤ちゃん」なのよ。
※自己の存在意義を子供に依存する親の究極のエゴイズム。ピンクの精神はここで完全に去勢され、成熟する機会を永久に奪われてしまう。
[Outro: Roger Waters]
Mother, did it need to be so high?
母さん、壁はこんなにも高くなくちゃいけなかったのかな?
※楽曲の最後に唐突に放たれるウォーターズの独白。過干渉によって築かれた「壁」が、自分を守るどころか完全に孤立させ、外界との繋がりを完全に絶ってしまったことに対する絶望的な後悔の念である。
